本当の自分を知る、自分と向き合う

〜 キャリアカウンセラー柏葉綾子のブログ

純粋ないかり

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ここ何日か自分のエネルギーが内に沈んでいたので、おとなしくしていたのだが、昨日久しぶりにいかりが駆け抜けるのを感じた。
 
ちなみに自己観察が進むと、エネルギーが沈むと気持ちも一緒に沈む...といったことはなくなる。
 
単に「今はそういう時なのだな」と受け入れて自分の流れに身を任せる感じだ。というか、自己の緩急のリズムに上手く乗りたいなら、緩のうちに乗っておくべきだと思う。
 
いかりのきっかけは、またホリエモンの発信だったように思う。彼の(特にゴーン氏の一件についての)歯に衣着せぬ物言いにひたすら感心していたわたしは、もしかして自分は言いたいことを我慢しているのではないのか?と自分を振り返った(ニュースレターvol.53  ホワイトシャドー)
  
いいたいことを我慢したこと...?あった。あったよ、と思って久しぶりに収録した音声を今朝のニュースレターで配信している。
 
話し始めてびっくり、久しぶりに自分の内をかけぬける純粋な「いかり」を感じた。講座のヒアリングセッションはあくまで例えに過ぎず、迷ってばかりで己の弱さを見つめたがらない人間の業に対する、純粋な「いかり」だったように思う。自分も気をつけようと思った。
    
純粋ないかりと、個人的な怒りの違いは終わった後の体感でわかる。

純粋な「いかり」は尾をひかない。私のものではないからだ。そして裏に必ず愛がある。眠ったまま道を違えようとする者を叩き起こすような感じだ(正にお不動様?)。体には、駆け抜けた後の爽快感しか残らない。
 
だが個人的な「怒り」は必ず尾をひく。自分をそれに同一化しているからだ。「あの時あの人はこうだった」「そういえばこの前もこうだった」これが個人的な怒りだ。怒りというより、怨念じゃないだろうか...。これは体を痛めるので、リリースするに限る。
  
  
なぜ、いいたいことを我慢していたのかというと、講座の主宰者として、今回配信した内容まで言及するのは「余計なお世話だろう」と思っていたからだ。
  
純粋な本音を表現することは自分と一致した在り方であり、そこに誰かを変えようという個人的な操作が加わると、それは「余計なお世話」となる。
 
そして「おせっかいな人間だと思われたくない」という理由で本音を表現することをためらえば、それもまたわたしのエゴなのだ。

エゴの打算は自分の利益だけを考えている。自分をよく見せたいというこれは打算だろう。
   
そう考えると、自己を判断してはならないという智慧はとても深い。

 
ついでに、以前の出来事ももしかしたら純粋な「いかり」だったのではないか?と思うに至った。「いかり」を放出した自分をジャッジメントしていただけだったのかもしれない。

純粋な「いかり」は自己をさわやかに駆け抜る。でも個人的な怒りは握りしめるもの。その違いは大きい。駆け抜けた「いかり」はどうなるか?外に放出される。だから現実化されやすいのだろう。

それにしても、自分の学びは受講生の学びのテーマとリンクしていることが多く、毎回振り返りの連続です。やはり講座においてわたしは先生ではない。少し先輩ではあるかもしれませんが、共に自己を学ぶ仲間なのでしょう。

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