わたしとつながる、叡智とつながる

〜 目醒めのキャリア発信者・柏葉綾子のブログ

試練

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この国は今、試されているのかもしれない。
2010年のギリシャ危機、2015年の欧州難民危機でもドイツは寛容性を試された。だが、人種差別と戦うだけでは決して勝てないと感じるのはわたしだけだろうか。
 
排他の背景には根源的な怖れがあり、自国が危機におかされる度に何度でも浮上してくる。形や制度の上でそれらを取り締まることはたやすいが、大切なことは、この国の集合意識に深く根付いた怖れそのものを時間をかけて癒していくことだ。そうでない限り、それらはまた別の形で表面化されてくるだろう。
    
それは丁度、わたしたち個人の内面において、自分自身の本当の怖れや怒り、悲しみと向き合わずに「実の親なんだから」「あの人も良いところあるし」「みんな仲良くね」と、あれこれ正当性をつけて自分を説得することに似ているかもしれない。
理性で感情は割り切れない。みんながトイレットペーパーを買い込んだらどうなるかくらい、落ち着いて考えれば誰にでもわかるはずだ。だが、ふとした瞬間に目先の不安や恐怖にとらわれてしまうと、自分1人の利益しか考えられなくなり、それが過激な行動として現れ、果ては集団となるととんでもない現象をつくってしまう。それが我々人間の無意識というものだ。
 
個人の内面に向き合わなくてはならない痛みがあるように、国家にも長い歴史で培われた感情的な痛みがある。ドイツと日本は、集合意識におけるその国家レベルの痛みを仕事に打ち込むことで和らげている、とエックハルト・トール氏の本では指摘されていた。なるほど納得な反面、ということは今回のように経済活動に混乱が生じると、それまで社会的な活動で和らげてきた集合意識レベルの闇が表面化しやすいのだろう。
   
個人の内面において闇と戦っても決して勝てない。闇から逃げれば相手はどこまでも追いかけてくる。意識の光をあて、相手の話を最後まで聞き、ありのままの姿を照らしてあげることだ。照らされた瞬間に、闇は闇でなくなる。それだけが自己統合への道のりである。それは今この時代において、多くの人の無意識や感情に呑まれず、冷静で、意識的で、内面的に調和した人間が必要だということだ。
 
ドイツの根底には自然と調和し、動物や植物と対話する慈愛に満ちた精神性がある。自然療法や環境都市が自然と生まれた背景を考えれば想像に難くないはずだ。そして、一個人としては「そうありたい」という理想が今日の政治の寛容さをつくっているようにも見える。形だけを真似るのではなく、本質的にそうした精神性に立ち返っていくためには、二度の世界大戦の敗北、東西分断、ワイマール共和国の崩壊からヒトラー台頭までの挫折など、この国が向き合っていかなくてはならない痛みは数知れない。

そのために一個人としてできることがあるなら、喜んで奉仕したいとわたしの内の何かがいっている。これはおそらく、今回の人生の記憶ではないようだ。

 
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