わたしとつながる、叡智とつながる

〜 目醒めのキャリア発信者・柏葉綾子のブログ

やりきった経験が育ててくれるもの

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昨日は久しぶりに1記事もブログを書かなかったのですが、たまにはこういう日があっても良いものですね。
で、代わりにといってはなんですが、少年漫画を読んでいました(笑)
 
最近知ったのですが、インプットというのは、わたしの場合エネルギーをインプットすることのようです。「直観の受け取り方」でもお話しましたが、全ては自己の内側にあり、その内なるエネルギーを呼び醒ましたり、そこに自由にアクセスできるようになるために、外側の何かがきっかけとなることはよくあるものです。
愛も豊かさも本当は自己の内側にあり、それが自己の外側に投影されているわけですから、意識の目醒めを迎えるこれからの時代に大切なことはそのエネルギーに自由自在にアクセスできるようになることなんでしょう。
 
昨日は漫画を読みながら、明らかに男性性を呼び醒まされていました。
今朝の瞑想も「お前は受け入れるだけが愛だと思っていないか?」というテーマの自己対話(自己との対話)でしたね。
 
以前、大学時代にオーケストラをやっていたことを書きましたが、個人としてのわたしは、人生で何かをやりきった経験がいくつかあります。
いえ、正確には元来のんびり屋なので、生まれてから幼少の頃は割と平和にのほほんと暮らしてたのですが、やっぱりしかるべきタイミングでお知らせがくるんですよ。「お前はこのままでいいのか?」と。
そしてある時「あ、人生って本当にいつ終わるかわからないんだな」と目の覚めるような経験をして「だったら自分の好きなことをやろう」と人生に本気になり始めたのでした。
 
人生に本気になると、人は何かをやりきるようになります。
一瞬、一瞬を無駄に生きなくなりますし、何をやりきったら良いかわからない場合でも、少なくとも自分自身を知ること、やりたいことを見つけることに本気になります。それを心から渇望するのです。
そして本当に何かをやりきった経験のある人は、その人にしかない独特の自信オーラを放っています。それは「自分の力で人生の限界に挑戦して、自分にできることと、できないことを知った」という経験の裏打ちから来るものです。 
そういう経験が多い人には、周囲に左右されないどっしりとした存在感があります。周りがどうあれ「自分にできることとできないことは変わらない」「それが自分という存在である」という内側から外へあふれ出る存在への肯定感というのでしょうか。
こうした健全な個人意識(自我意識)というものは、目醒めて生きることへの大きな後ろ盾となるものです。内なる自己の視点に目醒めつつ、それを現実世界で体現するための強力な自己実現力、内なる創造性を表現して生きるための力強い在り方と再現能力になるからです。
 
ところが世の中には、自分の内なる時間がとまったままの人もいらっしゃいます。
人生を思い切り生きた経験がないといいますか、人生で何かをやりきった!という経験が極端に少ない人です。あるいは、あったとしてもそのことを自分で認められなくなってしまったという表現が適切かもしれません。
ほとんどの人は、何らかのきっかけで心を閉じてしまったことを機に、内なる時計が一時的にフリーズしてしまっただけなので、そこを溶かしてあげれば再び時計は動き出します。つまり、自我の成長をストップさせるきっかけとなった、感情ブロックを癒してあげれば良いのですね。
しかしながらそのためには、本人のはっきりとした意思「自分の人生を生きたい」という不動の決意が必要です。そうでない限り、今度は自分と向き合うことからも逃げ始めてしまうからです。
 
自己(セルフ)曰くそうしたケースにおける愛とは、決して「受け入れる」ことではなく「やって、やって、やって、やり尽くす機会を与えた上で、しかるべき時期にそれを叩きつぶすことであり、そのために現実の荒療治がある」そうです。
 
やりきった経験って、本物の自信を育ててくれるものです。そして、健全な自信の育った時が、わたしたちにとっては自我(エゴ)を一番手放しやすい時なんですよね。
手放しの時に抵抗しなければ、つまり物事を何でもかんでも自分の思い通りに運ぼうとしなければ、叩かれても「あいた〜」程度ですむものです。(大惨劇にならずに済む)

現実で何か起きた時は、そうした視点(捉え方)も育てていきたいですね。
 

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