わたしとつながる、叡智とつながる

〜 目醒めのキャリア発信者・柏葉綾子のブログ

目醒めと眠りと孤独感 ②

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前回のつづきです。
人とつながっていると感じる時、誰かと一体感を感じる時は、自分の意識の内に相手の存在を感じられる時であり、そこに物理的な距離は関係ないという話でした。

つまり「寂しい」という感情は、自分の内に相手の存在を感じられない時=自分が自分の本質とつながっておらず、外の世界にのめりこんでいる時だけ感じるものである、ということがわかります。
これまでの人間関係は、感情を持ったまま行動することがスタンダードでしたので、この本質とつながっていない「寂しさ」を癒してもらったり、満たしてもらうことが前提にありました。
あの、少女漫画の胸キュンストーリーみたいな。うふふ、わたしも昔大好きでした。たまに体験すると未だに新鮮味があります。
  
ところが、よくよく考えてみるとわかるのですが、自分が「寂しい」と感じている時、相手もそのように感じているとは限りません。
それは「寂しい」という感情の鈴が、最初から自分の首についていて、現実世界の何かがたまたまそのベルを鳴らしてしまった時、自分だけが「寂しい」と感じるようになっているからです。
体験の真の起因はベルを鳴らしてしまった現象世界にあるのではなく、自分自身の首元にあるのですね。
そして、相手の首元にベルがついていなければ(相手が「寂しい」という感情を握りしめていなければ)そもそも相手の首元でその感情は奏でられないのです。
  
この事実に反して、内なる寂しさがベースにある人間関係は「自分が感じている感情を相手にも同じように感じてほしい。そうすることでわかりあいたい」という要求を含んだ非常に危ういものでした。そのため、眠りの時代の人間関係はほころびが生じやすかったり、どちらかが多少の我慢を要求されるものだったのです。
 
もしも外で起きている人間関係が「寂しさ」の直接的な原因でないとしたら、その真の原因はどこから来ているのでしょうか?一体いつから、あなたの内に「寂しい」という感情が生まれてきたのでしょうか。

わたしは、人生のどこかで「自分は愛されない存在である」と勘違いしてしまった時、こうした感情が生まれやすいと考察しています。寂しさはあなたの本質ではなく、あなたの内なる自我の傷から来ているものだったのです。

先日の音声で、自我(エゴ)の特徴の1つとして「いつも枯渇感をベースに動く」ことをあげておりましたが、自我意識でつくっている眠りの人間関係には、基本「もっとわたしを愛して!」という思いがその根底にあります。
あなたの意識がこの自我と一体化してしまうと、もらうことだけを考えてしまうので、自分を愛してくれる人には心を開き、そうでない人には心を閉ざすようになってしまうのです。

これは幼児期のわたしたちには、自分の精神構造を守るためある意味必要なプロセスなのですが、大人になってもこの自我が非常に元気だと、自然とそこから人の好き嫌いが生じるようになっていきます。
 
もしも自分を観察してみて、自分の好きな人というのは、自分に愛をくれる人であり、嫌いな人は、愛をくれない人である、と感じた時には、あなたの内にこの自我が元気に息づいている証です。
そんな内なる自我と丁寧に向き合い、傷を癒していってあげてください。
 
他人に対して心を閉ざしてしまうと、あなたは一部の特別な人以外からの愛も優しさも、何も受け取れない経験をするようになっていきます。それが確かにそこにあったとしても、もはやそれに気づけない意識になってしまう。
そんな分離の傷が「寂しさ」という感情を形づくっているのです。


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